Petržalka

金なし家なし語学力なしでひとりスロバキアに来てみて。

ポーランド無計画ホームステイの旅⑦ボロ小屋大戦争勃発

翌朝は、これまで経験したことのないような二日酔いをくらっていた。しかしこのまま起き上がれず置いて行かれれば、映画ホームアローンのごとく家に泥棒が来て、闘うことになったりしてとか考えて、それもありかと思ったが起きることにした。

 

絶望的な気持ち悪さだったが、私以上にウォッカを呷っていた神父やお兄さんはケロっとしていて、日本人の酒の弱さというか分解能力のなさに情けなくなった。

 

朝7時くらいにはチェンストホヴァの家を出発して、車2台でポーランドの最北端の海の街シフィノウイシチェへと向かった。

 

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後部座席は大型犬テラが独占

 

7時間か8時間くらいかかり、シフィノウイシチェへ到着した。神父が予約した宿に向かう。ホテルやホステルではなく、ペンションを貸し切って自由に一週間使うスタイルとのこと。

 

しかし、到着した宿が完全にボロ小屋だった。私はわりと汚めの環境でも生活しろと言われればだいたいいけるほうではあるが、私でギリギリいけるというレベルのボロさだった。部屋の中には蚊が200匹くらいいて、カビ臭かった。

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見た目はそこまでわるくないがチェンストホヴァのお家のほうが良いのは一目瞭然

 

先に到着した、私や神父とその甥っ子とテラ(犬)は問題ない。しかし問題は、もうすぐここへ来る、神父のお姉さんやその娘さんや赤ちゃん、つまり女性陣がなんというかである。誰もそれについて語らなかったが、この時点で、正直、ここで一週間全員が過ごすというのは想像がつかなった。

 

案の定、というそれか以上の事態だった。お姉さんたちは来た瞬間、このボロ小屋を前に、中に入ることもなく、帰っていった。「あなたは私たちのことを何も考えていないわね!」とひとこと残して。

 

残された私たちは、仕方なく庭でBBQをした。

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肉を焼くボグダン神父の兄

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この家畜小屋から100歳くらいの爺さんが出てきてびっくりした。。

 

とそこへ、ブチ切れて帰ったお姉さんから連絡があり、近くに代替えのペンションを見つけ、予約したのでそこに泊まるとのこと。しかもかなり綺麗で快適な宿なので見に来るといい!と言っているらしい。

 

結局、お姉さんたちは異国から来ている“ゲスト”の私に気を使ってくれて、私はそちらの快適な宿へと引き取られた。その夜、嵐が来て、あのボロ小屋は耐えられるだろうかと不安だったのでそこへ残してきた神父や甥っ子やテラのことが心配だった。

 

そして、快適な宿には蚊がおらず、暖かく、本当に快適だった。その夜話し合った結果、次の日には全員この快適なペンションに移ろうということになった。

 

色々あったが、シフィノウイシチェの大自然の中、海に行ったりできれば十分だし、ポーランドの最北端の街に来れたということにも満足していた。が、次の日大変な事実が発覚する。

 

ここに滞在する予定の一週間の天気予報が毎日豪雨なのだ。1,2日目は諦めずにペンションですることもなくぼーっとしていたが、3日目の朝に話し合った結果、チェンストホヴァに帰ろうということになった。

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一度だけ海に行ったが荒れ狂いすぎていた

 

と、いうことで結局、700キロもの移動をして来たシフィノウイシチェの街だったが、ボロ小屋事件と荒れ狂った海を一瞬見ただけで終わったのである。想像していたものとはだいぶ違ったが、ある意味これも面白い経験ができたということで私的には満足だった。が、一家の空気は終始重たいものだった。

 

はやく晴れたチェンストホヴァのあの大きなお家に戻りたい!そしてみんなの機嫌がなおってくれればなあと思っていたのだが、またしても予想外の事件が起こる。

 

その日の夜から、私はひとりで全く知らない家族の家に滞在することになった。。

 

続く

ポーランド無計画ホームステイの旅⑥ヤスナグラ修道院と豪邸の庭でBBQ

ボグダン神父様とは昔から知り合いで、名古屋にいるときからお世話になっていたけど、まさかこの同じタイミングでポーランドにいることになるとは全く知らず、ましてや神父の実家に本当にお邪魔するなんて、想像もしていなかった。

 

しかも到着したのはちびまるこに出てくる花輪くんちを現実化したような豪邸だった。そのお家ではボグダンさんのお兄さんの夫婦とかその娘さんご家族が住んでいてとても賑やかだった。部屋が余っているということで私はその一室を使わせていただくことに。

 

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全景が移りきらないくらい大きなお家であった

 

着いて早速、お家から車で5分くらいにある、ヤスナグラ修道院へと案内してもらった。(あいにくの大雨で写真はほとんど撮れなかった。)ヤスナグラ修道院には毎年世界中から何十万もの人が巡礼に訪れる。

 

この日も雨にも関わらず聖堂は入りきれないほどの人で溢れていた。ヤスナグラ修道院は思っていた以上に広いを持つ敷地の修道院で、大きな聖堂いがいにも巡礼者が集まる広場があるのだけれど、8月15日には、そこへも入りきれないほどの人が巡礼に訪れているそう。この日ですらもこの敬虔な雰囲気には息をのむものがあったけど、その時期に来ればそれ以上に独特な雰囲気に包まれているのだろう。

 

ヤスナグラ修道院といえば、いくつかの奇跡の物語をもつ『黒い聖母』が有名で、修道院内のいくつかの場所で見ることができるけれど本物はひとつだけであとはレプリカらしい。なぜ黒いのかというと明確な理由はわかっていないとのこと。顔と手の部分以外には絵の上から装飾がしてあって、これまで見たことのないような聖母マリアの姿だった。

 

想像以上の規模と歴史を持つチェンストホヴァのこのヤスナグラ修道院。そんな近くに家があるなんて、やっぱり神父は神父になるべくしてなったのだなあと感じていた。ひとりでは訪れることも出来なかっただろうと思うと、ヤスナグラの案内と家にまで泊めてくれて、また海にまで連れて行ってくれるボグダン神父に心から感謝である。

 

お家に戻ると雨はあがっていた。どこまでが庭なのかわからないほどの広すぎる庭でBBQをした。ご家族は夏場になると毎日BBQをしているらしい。

 

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この向こうにまだ鶏とかいたり畑とかもあった。

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美味いソーセージ

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美味いビール

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賑やかな家族とビールと豪邸とBBQ、、これは現実か?と太ももをつねりたくなるくらい幸福なひとときだった。そして、翌朝6時には、海の街シフィノウイシチェに向けて出発するということを忘れ、大いに飲んだ。気がつけば神父とそのお兄さんとその息子の4人だけになっており、ポーランドの伝統的なうまいウォッカをしこたま飲んで騒ぎ倒していた。

 

続く。

ポーランド無計画ホームステイの旅⑤ゴマまみれになりながらチェンストホヴァへ

サラさんのお家には8日間もお世話になった。毎日、観光に行ったり、日本食レストランに行ったり、買い物に行ったり、お母さんのポーランド料理を食べたり、団欒に混ざったり、ゆっくり過ごすことも出来た充実した日々だった。何より、ポーランドの家庭に入って生活を共にするという“日常”を味わうことが出来たのが私にとっては貴重で有難い経験だった。

 

そして、ヤヴォジュノの街はこれまで訪れたどんな街とも違った素朴さと平和な雰囲気の溢れる場所で、いつかまた来たい思えるところだ。

 

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ヤヴォジュノで訪れた喫茶店

 

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夕陽に照らされるヤヴォジュノの団地群(写真だと思ったら絵だった。)

 

この、パネラークと呼ばれる共産主義時代に建てられた団地群は、私の住んでいるペトルジャルカにも見られる光景だ。上から見たのは初めてだったけれどパネラークを見ると、ポーランドスロバキアの無数の家族がそこで暮らしているんだなあと、異国の日常を感じて不思議な気持ちになる。単なる日常だけではなくて、共産主義が崩壊していった激動の中での人々の感情の変化まで想像させる。(カラフルに色が塗られたのはここ15年くらいなんだそう)

 

そんなヤヴォジュノ・カトヴィツェの街に別れを告げ、私はポーランドの南部にある街チェンストホヴァへと向かう。カトヴィツェの駅までサラさんは見送ってくれた。前日にコンビニで見つけたおにぎりまで私に持たせてくれた。

  

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日本のコンビニの味にも飢えていたので嬉しい

 

しかしこのおにぎりには完全にやられた。開けた瞬間にまわりをコーティングしているゴマがすべて剥がれ落ち、私の体と私の座っていた座席は一気にゴマまみれになった。このおにぎりの正解の食べ方は一体なんなんだ。そこへチケットチェックのおっさんが来て、尋常じゃないほどゴマまみれの私を白い目で見ていたのは言うまでもない。

 

とにかく、8日間もの間いっしょに過ごしてくれたサラさんご一家に感謝をしつつ、チェンストホヴァへ到着。駅に着くと、チェンストホヴァ生まれ、チェンストホヴァ育ちのボグダン神父が出迎えてくれた。何を隠そう今回ポーランドの旅にいたったのは、この神父一家とその友達の持っているヨットでポーランドの海の街を廻るというなんとも魅力的な誘いを頂いたからである。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ポーランド編は濃すぎてぜんぜん進んでいかない。このままだと⑩までいっちゃうな〜。こんな時間差のあるブログなんて意味あるのかな〜。でも帰国するまでは意地でも更新していこうっと。)

ポーランド無計画ホームステイの旅④日本がもっと好きになる

この日はサラさんのお誕生日である。お誕生日ということでカトヴィツェにある、サラさんの好きなお好み焼き屋に行こうということになった。スロバキアにはお好み焼き屋はないので、自称元関西人の私は久しぶりにお好み焼きが食べれるのが楽しみでならなかった。着いたのがこちら。

 

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その名も『OKONOMIYAKI YO!』

 

この時点でここは完全に日本人のやってる店じゃねえ!と思ったが。味は食べてみないとわからないのでとりあえず中に入る。

 

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これ見よがしに並ぶ日本のCHOMIRYO!

 

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ビールは美味い

 

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無駄な動きと集中力のなさが気になるシェフ

 

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途中何度もグッチャグチャになるOKONOMIYAKI!

 

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完成!

 

美味い!でもこれはなにが美味いのかというと、完全にソースとマヨだ!絶大なるOTAFUKUの力を感じつつも完食。ヨーロッパに来てから、現地人がやっている日本食レストランに行っていつも思うことは、シェフのスキンヘッド率の高さと髭と、やっぱり日本の味は日本でしか食べられないんだなあということ。稀に、日本人がやってる本格的な日本食のお店もあるけれど、技術が確かでも日本の食材が全て揃っているわけではないから食べられないものももちろんある。

 

そんなことを考えていたらサラさんに用意していた誕生日プレゼントのことをすっかり忘れそうになってた。日本から持ってきた扇子とお箸をプレゼントした。 まったく大したものでもないのに、涙が出るほど喜んでくれて、思いつきで持ってきた物だったけどサラさんに贈ることができて本当に良かったなと思った。

 

スロバキアにも日本の文化に興味を持っている若者はたくさんいて、私はたまたまそういう人たちに出会う機会が多い。皆、私なんかよりはるかに日本を慕っていて愛すら感じる。そういう人に出会うたびに、日本の良い面を客観的に見ることが出来てもっと日本が好きになる。

 

アニメやゲームは、日本の中ではそれ自体は狭い世界だと思われがちな部分がまだあるかもしれない。部屋に閉じこもったりネットの中の人としか関わらないとかそんなイメージがあるからか。でも、それを好きでいた結果、日本語を習得することが出来て、世界中の人と友達になれて、日本に来て働くことができたとしたならこんな広い世界ってないなと思う。私が大きいと感じていたヨーロッパやアメリカが、彼らにとっては狭い。日本から来た二次元世界の方がよっぽど楽しく魅力的に映る、そんな世界を私は知らなかった。

 

サラさんには日本に来て日本の本当の味と、本物の秋葉原にも来てほしい!遠くはないはずのそんな日が楽しみでならない。

ポーランド無計画ホームステイの旅③ヨハネ・パウロ2世生誕の地と謎のB級スポット

この日、朝起きると『今日はヴァドヴィツェに観光に行くから早く準備をして!』とお母さんが言っている。ポーランド人は気まぐれなのでこんな感じで予定が急に決まることが多い。30秒で支度をして、外に出ると車が迎えに来ていた。お母さんの弟がイギリスからこちらに来ているということで、お母さんの弟の運転でヴァドヴィツェに行くことになった。

 

カトヴィツェからヴァドヴィツェまでは車で1時間程の楽しいドライブ。ちなみに、ヴァドヴィツェという街は、ヨハネ・パウロ2世の生誕の地として有名で、この日も各国からたくさんの観光客が集まっていた。

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広場に面するバシリカ聖堂

 

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ヨハネ・パウロ2世のモニュメントがたくさん

 

ヴァドヴィツェには行きたいと思っていたので、唐突に車で連れてきてもらえたことにはサラさんご一家に心から感謝。

 

聖堂のとなりにはヨハネ・パウロ2世が生まれた家があってものすごく並んでいたので諦めてお土産屋さんに入る。ここにはヨハネ・パウロ2世のモニュメントだけじゃなく、ヨハネ・パウロ2世グッズがめちゃくちゃたくさんあって、キーホルダーからはじまり抱きまくらやマウスパッドまで出てきそうな勢いだったので、まるで2次元アイドルのような扱いだなあと思っていた。

 

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ヨハネ・パウロ2世が好きだったことで人気のクレムフカというケーキも食べた。甘い。

 

ヴァドヴィツェの街をぐるっと一周したところで、次は近くにある遊園地に行ってみようとなって、実はテーマパーク好きの私はテンションがあがった。

 

到着した遊園地の入り口はこちら。

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デカい魚がお出迎え。こいつは喋っているし動いている。

 

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上に付いてる恐竜の口もだらしなく動く。

 

予想外のB級っぷりに探究心がみなぎる。どうやらここは小さい遊園地と恐竜の展示を主としたテーマパークのよう。こんなところ日本人がぜったい観光に来ない!と思うとますます気分は高揚していた。ここからは珍スポ好きの心をくすぐる写真のオンパレード。

 

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森のなかに無造作に配置される恐竜

 

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ジュラシック・パークの一コマかな

 

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余裕の表情のマネキン。爆発的毛量のヅラ

 

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後半は原人が出現。バカにしすぎ

 

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ぜったい夜に来たくない

 

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でも日本にあったらぜったい訪れてる

 

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コウモリVSクモ。謎の関係

 

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巨大虫ゾーン

 

と、いう感じで動きもつくりもその安っぽさが怖さを倍増させていて、なかなか普通の旅行では味わえないほど好奇心をくすぐられたポーランドの遊園地だった。平日にも関わらず園内は家族連れで賑わっていた。

 

ヨーロッパにはまだまだこんなB級スポットが溢れているんだろうなあと思うとそのすべてに行ってみたい!と思うのと、今回もこんなところ車じゃないと来れなかっただろうし、私は本当に貴重な経験をしているんだと改めて感じていた。

ポーランド無計画ホームステイの旅②ヤヴォジュノの街と奇想天外一家

サラさんの実家のあるヤヴォジュノという街まではバスで30分くらい。中心に大きな教会があって小さなマーケットがいくつかあるような可愛らしい街だ。

 

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街の中心にある大きな教会

 

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中央広場

 

 

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野菜や果物、衣類などなんでも売ってる商店街

 

街を見つつ、私は、知らない国の人のお家にお邪魔するのは初めてなので緊張していた。

私『いや〜、お父さんとお母さんに会うの緊張するな〜』

サラさん『私のお父さんとお母さんはちょっと変な人たちだからなあ、緊張しなくていいよ!』

私『変な人?そいえば弟もいるんだよね?会えるの楽しみだな〜』

サラさん『弟は実は、妹だから、両親の前では言わないでね!』

 

この時点で緊張というか、混乱してあれこれ考えるのをやめてだいぶ楽しみになっていた。

家につくと、デカデカと“東京強盗”と漢字プリントされたTシャツを着ているお父さん(イタリア系のチャラいイケメン。写真を載せると怒られそうで怖いので自粛)が出迎えてくれた。お父さんは近くの工事現場のボスをやっているらしく、

『俺はボスなんだぜ!すごいだろ!!ハハハッ!リナ!この家はいいだろ?気に入ったか!?』

と酒に酔ってるとしか思えないほど豪快な人であった。

 

またお母さんもかなり若作りで、派手目の格好とメイクで、まだまだ気持ちは20代って感じが漂っていて、アニメ・ゲームオタクのサラさんからはおよそ想像もつかないご両親であった。

 

そして気になっていた弟は、綺麗な顔の男の子で、サラさんの影響を受けたのかわからないが、完全にオタクだった。両親のテンションの弟だったらどうしようかと思っていた私は少し安心した。

 

こんな奇想天外な家族だが、8日間の滞在中、異国からの得体の知れない私に対して、本当に親切に家族のように接してくれた。

 

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お母さんは、毎日朝食や昼食やポーランドの家庭料理を作ってくれた。

 

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飼い猫のリア

 

サラさんのお家はポーランドの一般的な中流家庭のアパートだ。だから両親が家にいるときはリビングを譲ったりとか、夜遅い時間は静かにしないと怒られる。とか、気を使って生活をしていてリアルな実家暮らしを感じた。

 

サラさんも弟も、本当に日本が大好きで(弟も多少日本語がわかる)家にいるときはいつも日本のアニメやゲームや動画を見ていた。なぜか秋葉原ストリートビューのライブをずっと見ていたりもした。

 

あるとき、日本の90年代頃の音楽をyoutubeで聞いていて、お父さんが『お前は、ポーランド人なのになんでヨーロッパやアメリカのミュージックが好きじゃないんだ!』と言っていきなりブチ切れた。私たちはそそくさと部屋に退散したのだが、やはりあの両親には理解してもらえない部分も多いのだろうなと思うとこの兄弟の芯の強さを感じてうるっときた。

 

そしてあるときは、サラさんが弟のことを、彼は〜と言ってしまったときは、お母さんが『She is not BOY!!』と言ってブチ切れた。

 

日本よりかは異文化や同姓愛に対して寛容だろうと思っていたので、びっくりしたけど何だか笑えてくるような明るさがあった。

 

こうやって言いたいことを我慢せずになんでも言い合って、感情も全部丸出しの家族だからこそ、弟だって弟として生きているし彼らは日本のアニメ・ゲームをとことん好きでいられるんだと思う。両親は、意見はしてもそれを取り上げるようなことはしない。

 

いつでも明るくて会話が飛び交っているから。多少言い合うようなことがあってもすぐに過ぎ去っていく。円満ってのはそういうもんなのかなと思ったりもした。

ポーランド無計画ホームステイの旅①

15日間の長い旅から帰還したけれど予想外の出来事もたくさんあってすべてを書ききれないなあと思っている。やはりブログとかは仕事と違って溜め込まないほうがいい。(仕事は溜め込んでから一気にやるのが良いのだと思いこんでいる)

 

そもそもなぜまたしてもポーランドに旅行することになったかというと、家主のピーターの紹介で出会ったサラさんの実家へ遊びに行くことになったのがきっかけである。

 

サラさんの実家はポーランドのカトヴィツェという街で、ブラチスラヴァのメインのバスステーションからダイレクトのバスが出ていた。家を出るときにはピーターからサラさんへの手土産と、食べきれないほどのフルーツを持たされて荷物はパンパンでひっくり返りそうだった。

 

そして毎度のことながら、スロバキアのバスステーションは本当に不親切で、自分のバスが無数にあるバス停のどこに来るかわからない。人に聞いても誰もわからないのでキョロキョロしながら汗だくでバスを探し回る。今回ばかりは乗れないかと思ったとき5分ほど遅れて目の前に真っ赤な車体が現れた。東欧で定番の格安長距離バス“PolskiBus”に乗り込んだ。

 

7時間後、 カトヴィツェに到着。

ポーランドの通貨はズウォティなのでユーロしか持ってなかった私は、ATMでズウォティを引き出すのだが、1ズウォティがいくらかまったくわかっていなかったために、2000ズウォティ(日本円にして6万円)も降ろしてしまうという度し難いミステイクを炸裂。

 

強盗に会わないことを願っていると、そこへサラさんが迎えに来てくれた。私たちはおよそ一ヶ月ぶりに再会した。相変わらず流暢な日本語に感服しながらもサラさんの実家のあるヤヴォジュノという街に向かうバスに乗った。

 

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カトヴィツェはポーランド有数の工業都市

 

何はさておきここから行き当たりばったりのポーランドホームステイの旅が始まった。たぶん④くらいまで続く。

Barbecueの季節

アフリカより暑いと噂の日本とはうらはらにスロバキアでは少し肌寒いくらいの気候が続いている。私の記憶では5月よりも涼しくなっている。このままどんどん寒くなることを思うと冬が怖くて仕方がない。スロバキアの冬はバスを待っている間に凍死すると言われるほど厳しいそうだ。

 

そうなったらどこか暖かい国に南下するのもありだなあ。

 

と、天気の話なんかしてしまうほど平和な毎日が続いている。こちらは自然が豊かなのでバーベキューも頻繁に行われる。バスやトラムで数十分で大自然の中で酒が飲めて安上がりだ。しかし屋外でのイベントはほぼ100%の確率で豪雨に見舞われるのでやはりバーベキューはきらいだ。ちなみに先日は会場へ向かう道中、バスを間違え、山の中で遭難しかけた。もちろんその間も豪雨である。着いたら雨はあがった。

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17日からは2週間ほどポーランドに滞在する。Szczecinという海の街まで行くので出来ればベルリン、プラハを経由してブラチスラヴァに戻って来たい。人生なげえなあ、と口ぐせのように言っているけど旅に出ているときだけは、もっと時間があればいいのにと思う。

 

夏が終わってしまう。

なぜスロバキアに?

こちらに来て二ヶ月が経ち、今のところスロバキアのことは好きになる一方です。そんなスロバキアに肩入れしすぎな記事はこちらです。

 

workingholidaynews.com

 

ワーホリニュースにも書きましたがなぜスロバキアに?と会う人ほとんど全員に聞かれます。大した理由はありません。スロバキアにワーホリ行った人なんて聞いたこともなかったし旅行したって話も聞いたことがなかったので行ってみたいと思いました。

 

そんな理由でも行きたいと思ったところには行けるものなので、なんでもやってみるものです。その結果、やっぱりやめときゃよかったと思ったらやめればいいです。

 

自由に生きることを許されているうちは、何度でもやり直せると思っています。年齢は関係ないけど、長く何かを続けたりどこかに居続けていると自分の直感は弱くなると思うし、そういう感覚を信じることがこわくなっていく気がします。

 

なぜかはわからないけどここにいる

生きていることを感じる毎日です。

外国で初めてバイトをして思ったこと

働くことに対して良いイメージがなかった。お金を稼ぐことが少なからずストレスになることはもう理解している。ストレスと充実は常に比例しているため、お金を稼ぐこと、そして評価されることや必要とされることは常に大きなストレス、つまり責任とプレッシャーがセットになっている。

 

 

私が、スロバキアでバイトをしてみて思ったことはひとつだけだ。日本にいるときに当たり前だった、お客様第一主義がこちらには存在しないということ。

開店のタイミングは準備ができたとき。開店時間が過ぎていても準備ができていなければお客さんには帰ってもらうし特段慌てたりもしない。普段生活をしていてもいつも感じていたことだけど、みんな働いている人は、こちらにはこちらのペースがあるというのを芯に持っている。

 

 

全員それが当たり前なので客も怒ったりはしない。日本では時々、お店と客の間に上下関係あると勘違いした輩がふんぞり返りここぞとばかりにクレームをつけまくる。お客様は神様ですといった日本人の奴隷精神が引き起こしたこの図式はもう今更変えようもないのだろう。

 

 

私が思うに、こちらには小さなコミュニティには上下関係がいちいち存在せず、あるとしても大きな問題ではなく、みんなが自分の仕事を全うするだけでそれ以上も以下もない。しかしその中にもしっかりと思いやりはあって、コミュニケーションは大事にする。相手がお客さんであろうが、スタッフ同士であろうが線引が特にないのだ。お客さんにも仲間にも同じ笑顔で口調で接する。その対人関係のしなやかさにこれまで抱いたことのない好感を覚えた。

 

 

働くことは奴隷ではない。部下の上でもお客さんの下でもない。自分の評価や責任よりも先に、立場や役割など関係なく誰とでも笑い合える環境があれば、働くこともきっとストレスばかりではない。

【オーストリア】ヴァッハウ渓谷の葡萄園と廃墟

先日はオーストリアのヴァッハウ渓谷を訪れた。まずはブラチスラヴァからウィーンへ電車で一本で移動。私の家の向かいのペトルジャルカ駅から電車が出ているため、かなりお手軽に行くことができた。

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往復で14ユーロ、2週間有効というフレキシブルな切符

 

 

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ペトルジャルカ駅→ウィーンへの電車は真新しいが乗客は少ない

 

 

1時間10分ほどでウィーン中央駅に到着。こんなに近いのに国境を越えていて、言葉はスロバキア語とはまったく違うドイツ語に様変わりし不思議な感覚だ。ついてすぐにオーストリアの伝統的なファストフードへ。名前はぜったい思い出せないがパンに切りたての分厚いハムを挟んだだけのシンプルさ。この大きさで5ユーロという日本並みの物価高さに驚き、スロバキアボケしている自分に気づく。

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ウィーン中央駅の外に出ると、なんだか見たことのある異様なほどカラフルな建物の並び。そう、ちょうど2ヶ月前のこの日私はウィーンに降り立った。ネットが使えない事実に焦り、ひとり不安になりながら乗ったタクシーから見ていた光景だ。あの時の自分はまだ他所者だった。なんだかすぐにここから出ていかないとと思い、早々と後にしたウィーンの街並み。今も他所者には変わりないけどもう少しここに居ても良いのかなと少し安心している。

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駅の近くには、ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) 

 

 

 

ウィーンから更に電車で1時間半、クレムスという駅に到着。そこから更にバスに乗ってヴァッハウ渓谷を目指す。

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こじんまりとしていてかわいいクレムス駅

 

 

 

謎の交通渋滞の末40分程かかり目的地のデュルンシュタインという街に到着する。天気はここからいきなり曇天模様。

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バスを降りるとすぐに広がる葡萄園

 

 

 

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誰もいないデュルンシュタイン

 

 

 

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坂を上がっていく

 

 

 

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家の壁を覆っているのもよく見ると葡萄だ

 

 

 

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だいぶ登ると葡萄園の向こうにドナウが

 

 

 

 かなり疲れたので丘の上で美しいドナウを眺めてゆっくり休憩して街に戻ってきた。

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オーストリアのオリジナルジュースは美味い

 

 

 

ドナウ川沿いを歩いていると廃墟らしき建物を発見。かなり大きいし解放されていたのでここぞとばかりに見入ってしまった。 

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 窓の割れ方がこわすぎる

 

 

 

もう少し歩くと山の上に廃城が見えたので行ってみることに。

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葡萄園の向こうの廃城(Ruine Hinterhaus)

 

 

 

12世紀から存在しているお城でデュルンシュタイン城も似たような廃城だけどこちらはもっと小さくて人もぜんぜんいない。またそれが良かった。写真では伝わりにくいけど小さくも美しく悠然と佇む石垣にはぐっとくるものがあった。

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800年前もこのお城から見える景色は変わってないだろうな

 

 

 

再び街に降りてきたときにはかなり疲れていて、ワインを飲む気まんまんだったが店がやっていなかった。時間が遅くなったからかも知れないが、廃墟とデュルンシュタインの街に満足していたので文句は言わず水を飲む。

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なんだかちょっとおどろおどろしいがここから出てる水はかなり美味かった。

 

 

 

下調べもほとんどせずにこんな奥地まで来ることができたのもドイツ語の話せる友達のおかげ。ひとり旅は困難が多いけどバスや電車に乗れたらその都度達成感があって好きだ。でも現地の友達とする旅はその地の隅々まで知ることができて満足感がある。ヴァッハウ渓谷(デュルンシュタイン)は想像以上に田舎を感じられて、廃墟も満載で、ゆっくりするにはもってこいの場所。物価がちょっと高いのが難だけど、お金に余裕さえあればぜひクルージングをするべきだ。船の上でワインを飲んで優雅に過ごすのがヴァッハウ渓谷の一般的な楽しみ方なんだと思う。

スロバキアワーキングホリデー

スロバキアのワーキングホリデーについていくつか寄稿しています。

 

ワーホリニュース|ワーキングホリデー専門ニュースサイト

 

今月からもうひとり、スロバキアにワーキングホリデーに来る方がいるそうです。たぶん私も入れて3人目?なのか。もっともっと増えていけば良いな。

言葉の壁はやっぱりある

そもそも英語がぜんぜんわからないのに、スロバキア語を勉強しようとしているのは無謀なことだと思う。たしかに、英語ができたら生活で困ることはほとんどない。ヨーロッパの人々にとって英語ができることは特別なことではないし、みんな時と場に応じてスロバキア語と英語を使い分けてる。だから、たくさんのスロバキア人がいる中に私がいる時は、みんなが私に気を使って英語で話してくれる。しかしその英語がわからないので、本当に申し訳なさしかない。

 

郷に入りては郷に従え、とは思っていて、ここへ来てわざわざ英語を勉強するより、スロバキア語を学んでスロバキア人と話したい。日本語を少しでも話せる外国人に出会うと思わず笑顔になってしまうように、スロバキア語がマイナーな言語であると自覚しているスロバキア人にとってもスロバキア語を話す外国人は珍しがられるし喜んでもらえる。

 

つまり何が言いたいかというと私は今言葉の壁を実感していて、その壁を乗り越えるためにスロバキア語を勉強することに決めました。

 

自分の目的は語学の習得ではないので、気負わずに生活を楽しみながら言語を学んで行きたいと思っている。生活する上で自ずと英語は必要になってくるので、体当たりで覚えていくしてない。しかしスロバキア語はまったくの未知からのスタートなのでやっぱりある程度勉強っぽいことをしないと学ぶのは難しい。

 

ブラチスラヴァにあるコメニウス国立大学では、SASというサマースクールが毎年8月に開催される。このSASは私にとってすごく魅力的だ。世界各国からの参加者が訪れ、寝食を共にしながらスロバキア語と文化を3週間に渡り学ぶ。初めは、英語で他国の人たちと学ぶことに怖気づいて申し込みを渋っていた。しかし、1年という限られた時間の中で、今ここでしかできないことをするのが目的と思っているので、他の国ではぜったいに経験できない3週間の価値が勝った。6月中に締め切るSASの募集に、滑り込みで申し込んだ。

 

未知な文化を未知な言語で学ぶのはどんな感じなのだろうか。今はまだ無謀だとしか思えないけど追い込まれないと堕落してしまう人間はこうやって逃げ場のないところに身を置くことでしか成長できないので仕方がない。ちなみに、今週からバイトもする。

 

勉強とか計画とか準備が苦手ならなんでも実践から入るしかなくて、何もかもに必ず自分にあった方法があるとこは、大学受験のときに知った。あれから8年が経ち、もう一度、予測不可能な冒険と挑戦を始めようとしている。

日本とスロバキアの距離

スロバキアに住む日本人は200人いる。以前に大使館でそう聞いてはいたけど、街中では日本人はほとんど見かけたことがなかった。そのため日本人バーベキューに参加してたくさんの日本人に囲まれながら、みんなどこにいたんだよ!と思っていた。

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聞けば、スロバキアに住む日本人も年々少しずつ増えているそうで、日本食レストランはこの半年で一気に増えたらしい。数年前から、日本とスロバキアの交換留学生の数も増えてきているので若い人もたくさんいた。私自身も、昨年6月から始まったばかりのワーキングホリデー制度でスロバキアに来た。日本とスロバキアの距離はどんどん近くなっていく。スロバキアを目指す人のために、もしくはスロバキアから日本を目指す人のために、いつか自分も何かできればと思う。

 

スロバキア日本大使館のシェフが作った絶品そうめんを食べながら、近くにいた男性に、「大使館関係の方ですか?」と聞くと周りの方々が苦笑いしながら、「その方は大使ですよ^^;」と教えてくれて、場が気まずくなった。偉大な大使さんのおかげで私もこうやってスロバキアに来ることができたので、この一件は深く反省した。

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ご家族で暮らしているかたも多く、子どもたちは大自然の中で目一杯走り回っていて眩しかった。途中、子どもたちを中心にゲームが催され、カラフルな馬を模した飾りを子どもが棒で叩きまわす光景はなんとも言えずシュールだったが、子どもたちは人形の中から飛び出たお菓子を満足そうに手にしていた。メキシコの伝統的な遊びらしい。

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スロバキアに住む日本人、だけでなく日本に興味があるスロバキア人がたくさんいることも知った。彼らの日本に対する愛情を肌で感じて、私はもっとスロバキアのことを知らなければいけないと思った。

やっぱり柴犬がいちばん

日本が誇るべきは、刺し身でも寿司でも天ぷらでもなく、柴犬だ!

ブラチスラヴァで柴犬を見たことは一度だけある。柴犬を見つけたらいつも盗撮を試みるくらい、自称柴犬愛好家だ。

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ブラチスラヴァに住んでいるエマさんと友達になった。エマさんは日本が好きで、日本語を勉強している。そして、柴犬の『らん』を飼っている。旧市街を我が物顔で散歩する柴犬らん。

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ブラチスラヴァではショッピングセンターでもレストランでもどこでも犬は飼い主と一緒だ。レストランでは犬を連れていると必ず水を出してくれる。(人間の水は有料なのに!)そんな犬に優しいところもこの街の好きなところ。あと、犬たちも自分がヨ〜ロッパで暮らしていることを自覚しているかのように、品格があり優雅である。

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柴犬らんはというとまだ若いということもあり、少々やんちゃではあるが吠えたりはしない。(私はいきなり噛まれたけど可愛いからいいよ!)

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柴犬らんの美しい毛並みと無垢な瞳に癒されつつ、私も生まれ変わったらヨ〜ロッパのお犬様になってみたいなあ、と思っていた。